沖縄Uターン転職 |
はじめに | 転職 | 引越し手続き | 振り返り | 最後に |
はじめに |
・経歴
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高校を卒業後都内の大学へ進学
卒業後は東京のSier企業(システム会社)に就職し、 丸3年を経て(在籍期間3年と3ヶ月)沖縄にUターン転職。 同じ沖縄出身の彼女と社会人途中から同棲。 当時彼女(現奥さん)も東京の会社に就職していました。 |
・Uターンの動機や当時の状況
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Uターンについては、高校の恩師に 「東京で就職して3年経験を積んだら沖縄で就職できるよ。」という話をされて、 若いうちは東京で経験を積んで、いつかは沖縄に戻ろう」と学生の頃から考えていました。 当時彼女も同じことを言っていたので、いろんな高校の先生が同じようなことを 言っているのかもしれません。 彼女とは大学からの付き合いで同棲もしていて結婚を意識していました。 ちょうど社会人4年目にプロポーズし、結婚を機に沖縄に戻ることを決意しました。 |
転職 |
・転職活動
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4年目の在職中(在籍期間3年5ヶ月頃)から転職サイトに登録を始めました。 経歴書や自己PRなど最初は何も書かずにめぼしい会社はないかなーと ただ見ている感じが3ヶ月ほど続いたと思います。 驚いたことは自分が考えているよりも募集をしている企業が少ないということです。 この中から選ぶのきついなーと当時思った記憶があります。 |
・転職サイトの利用方法
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私が使用したサイトは、DODA、リクナビNEXT、エン転職の3つでした。 3サイトともすべてに掲載されている会社というのは稀だったので、 会社選びからはじめるのであれば、どのサイトも見てみるべきかなと思います。 印象としては、DODAやリクナビNEXTは大企業が多く、エン転職は中小企業が多い印象でした。 私の主観なので実際のところはわかりません。 |
・会社選びの基準
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当時は仕事の経験を生かしたくて、システム開発会社や、一般企業のシステム部門 、 沖縄以外に本社がある会社(失礼な話ですが、沖縄の会社はいい加減な仕事をしている。 という偏見が当時ありました。また、仕事をしながらの転職活動だったので、 どうしても都内で面接を受けたかったです。)を選んでいました。 年収は最低でも300万円、土日祝日休みの会社という条件もありました。 |
・内定をもらうまで
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転職サイトを通じて合計4社にエントリーシートを出して、 結果的に1社から内定を貰いました。(執筆時点も勤めています。) 転職サイトに登録してからいざ受けてみよう。という会社が見つかるまで 4ヶ月ほど掛ったと思います。 毎週新しい企業がサイトに追加されるのですが、そう簡単に条件の会う会社はありませんでした。 4社中3社はDODAからの紹介でした。 DODAに登録すると、頻繁にエージェントの利用を促すメールが届きます。 一度利用してみようと思い、面談の申し込みを行いました。 実際にDODA(インテリジェンス株式会社)本社に伺い、エージェントの方と面談をしました。 事前に会社選びの条件は伝えているので、私の場合は8社程会社を紹介して頂いて その中から3社にエントリーシートを出しました。 エージェントには面談で話を聞いて貰い、エントリーシートなどの書き方やエピソード内容を 一緒に考えてくれました。面談時点ではサイトに記載する職歴や自己PR等大雑把にしか記載していなくて 会社に提出できるようなレベルではなかったので助かりました。 エントリーシートを出してからは、すぐに相手先の企業から面接の日程調整連絡が来ます。 これもDODAの場合はエージェントを介して調整しました。 提出して翌日には連絡が来たので、エントリーシートを出してからは転職活動が急に忙しくなってきました。 1社目の会社は1次面接でお祈りを貰いました。話していても(あっ!落ちるな。)と思いました。 新卒採用以来の面接で緊張して話せなかったのもありましたが、 面接しながら職務内容を伺っても自分とマッチせず落とされても仕方ないなぁと思いました。 1社目を受けることで面接の雰囲気を味わえたし、転職活動の一通りの流れが掴めてよかったです。 DODAと並行して、エンジャパンで見つけた会社にもエントリーシートを出しました。 会社情報が掲載されたタイミングでビビッと感じ、すぐに申し込みました。 採用担当者や業務内容もやって見たいなと思える仕事で、ここに内定を貰おうと本気で思いました。 DODAでエントリーシートを添削してもらっていたので、職務経歴書や自己PR文の雛形は出来ていました。 なので、入りたい会社に向けてアピールするところを少し変えたりして、 直ぐに面接をして貰いました。 結果的に1次面接、2次面接、内定といった感じでトントン拍子で話は進みました。 この間、もう2社(Dodaからの紹介)でエントリーシートを出していましたが、 1社は返信がなかったので履歴書で落とされた感じです。 もう1社は面接の日取り調整をしていましたが、内定がその頃に出てしまい、 面接を取りやめて貰いました。 |
・働いている会社への配慮
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当時はシステム会社に勤めていて、お客様の会社に常駐して働いていました。 上司や先輩がプロジェクトから抜けていて、外注の方を連れてプロジェクトに参画してました。 自社の上司に辞める旨を伝えたのは退職予定日(私は7月1日付で次の会社入社予定となっていました。) より6ヶ月前でしたが、社内から代わりのメンバーを割り当てるから、 それまでお客様には言うなという指示がありました。 お客様に退職の話が伝わったのは、4月頃で 3週間ほどで次の担当に引継ぎ作業をばたばた行いました。 お客様先に迷惑をかけないようにと思って、6ヶ月前に退職の話をしたにも関わらず、 結果的には迷惑をかけてしまいました。 今思えば上司になんと言われても早めに話してたらよかったなーと思います。 私は有給が40日残っていたので、(4月1日付けで20日付与の会社でした。) 全部消化する旨を上司に伝えました。 かなり嫌な顔をされたので、いろんなサイトを参考にしたのですが、 有給をいつからいつまでとる等のやり取りは全てメールにして残すようにしていました。 上司からは電話で連絡があった場合も後でメールで連絡します。 といって上司に電話で言われたこととそれに対する返答という形で、 全てやり取りがメールに残るようにしていました。 有給を全て消化するかは当時ネットで調べても賛否両論でした。 会社の先輩からも「あんまりよくないよ。」という連絡が合ったり、 「権利なんだからいいんじゃないか。」といわれたりで、最終的には自分の判断で 全て有給を消化するほうを選びました。 直属の上司とは、あまり接点がなかったですし、不信感も多少ありましたので 権利を主張することに躊躇がありませんでした。 また、沖縄に帰ることもあり、アパートを探したり家財道具を揃えたりと やることが沢山あったというのも理由のひとつです。 |
沖縄への引越し手続き |
・アパート選び
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東京ではすでに彼女と同棲していて家賃や光熱費などは折半してました。 内訳 はこんな感じで、お昼代や携帯代、洋服等は自分のお金からという感じでした。 これを元に沖縄に戻った時はどうなるかを二人で相談して自分たちの生活に どれだけのお金がかかるかを計算しました。そこからその条件なら住む地域はここだね。 とか車はもう1台買うかなどを相談してました。 結果的にアパート代は駐車場込で7万円くらいであれば何とか生活出来そうでしたので、 ネットで物件を検索し、いくつかピックアップしたのち、 有給消化期間に実際に物件を見て回りました。 <東京での生活内訳> 家賃・駐車場込 9万円 車保険・ガソリン 1万円 インターネット 0.5円 光熱費 2万円 食費 3万円 デート代 2万円 --------------------17.5万円 |
・物件情報サイトの利用方法
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東京にいるとSUUMO、アットホーム、HOME’Sなどが有名ですが、 沖縄に関していえば、うちなーらいふ、GOOHOMEが物件数が多くよく利用されているようです。 私もうちらーらいふを使用して今の賃貸物件を見つけました。 |
・引っ越し方法(荷物の運搬)
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引越しは一括見積もりで複数の引越し業者に依頼を出す方法があるようでしたが、 私の場合はベッドや冷蔵庫などの大型の家財道具は全て沖縄で新調しました。 なので衣類や本、食器などをすべてゆうパックで送りました。 衣装ケースや電子レンジ、マットや布団もゆうパックで送れましたよ。 当時1LDK(43平米)に住んでいてゆうパックで送ったもの全てで54,520円でした。 サイズ 数量 金額 170 2 4220 140 5 9500 120 24 40800 --------------------54520 後、軽自動車を1台所持していたので、川崎港から沖縄までフェリーで送りました。 このとき、ダイニングテーブルやテレビ、などを車に詰め込んで沖縄に送っています。 この運搬は一応制約事項に「荷物はあまり積まないこと」という記載があったと思います。 もしかしたら運搬を断られるかも。というのを覚悟の上、パンパンに荷物を詰めて 川崎港まで持っていきました。車の鍵を施錠しないので、荷物が盗まれてしまう可能性があります。 私の場合は、沖縄で車を受け取って気づきましが、サングラス(レイバンのお気に入り2つ)が 無くなっていました。制約事項に「盗難についても保証しません」という記載があったので 泣き寝入りしました。が、運搬料は圧倒的に安いです。 もし利用するときは貴重品は入れないようにすることだと思います。私の考えが甘かったです。 軽自動車の運搬料 1台 40000円 |
・家財道具の購入
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家財道具はほとんどを買いなおしました。 合計して50万円程使いました。 沖縄にUターンするつもりなら、引っ越しに使うための貯金は絶対にしておかないと いけないなあと思いました。 洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、ソファ、ベッド、リビングテーブル、 テレビ台、カーテン、衣装ケース、調理器具セット、食器、本棚、寝具、ゴミ箱、カーペット |
振り返り(4年経って思うこと) |
・東京で働くということ
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あっという間に沖縄に来て5年目に突入しましたが、戻ってきて思うのは、 東京楽しかったなぁということです。 東京に居るときは「沖縄にはやく戻れたらなぁ。」なんて思っていましたが、戻ってみると 凄く東京が恋しくなります。きっとないものねだりなんだろうなと思っています。 沖縄に戻って良かったと思うのは、通勤が凄く楽になったこと、家族や友人が近くにいるということです。 いざ何かあったときに助け合える人がいる環境はいいものだなと思います。 仕事面では転職者の場合、即戦力扱いでの入社となりますが、 沖縄の会社は優しい人が多い印象です。 前職がたまたまかもしれませんが、いい意味で、遠慮なく言い合う人が多い会社でした。 間違いがあれば、会議で吊るし上げ等も頻繁にあったのですが、 沖縄では一度もそういったことがありません。私もずばずば言ってしまう方だったので、 ディベートできずに少し寂しかったりもします。今いる会社は本社は東京なので、 仕事自体は東京や全国各地とやり取りしながらの仕事をしています。 働きやすいので満足しています。 |
・転職のタイミング
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後になって少し考えるのは、転職のタイミングです。 私の場合は、プライベートで結婚があったので沖縄に戻るタイミングは良かったのですが、 仕事だけで考えると、もう少し東京にいても良かったかなと思います。 もちろん働いている会社でキャリアアップがはかれる環境にいればの話です。 というのもやはり転職を3年終わってすぐにやってしまうと、給与交渉が不利だなと感じました。 私の前職の場合ですと新卒で初任給20.5万、毎年5000円の年齢給加算、資格手当、残業代といった 給与体系で、大体4,5年目に昇進の話がありました。 今思うと、この昇進まで東京にいてもよかったなと思っています。 沖縄の給与は、東京の給与の8割だといわれていましたから、私の場合だと18万円になってしまいます。 もちろん腕に自身があって自分の価値をアピールできる人であれば、まったく気にすることなく、 希望年収をいえるのでしょうが、私の場合は前職の給与を考慮して自分が食べていける 最低限のラインを伝えました。内定をもらえなかったら元も子もないので、 ここは難しいところですが、少なくとも前職の給与が昇進で上がっていたら、 もう少し希望年収を吊り上げることができたなあという後悔です。 ちなみに面接で希望年収を聞かれて答えたのですが、年収とは残業代を除いた額で伝えるものだと 思っていたのですが、内定通知を頂いたとき、給与欄に想定残業20Hを付与し私の希望年収と一致するようにしていました。 あの時面接で、「残業代を除いて、○○○万円です。」と答えられたらよかったなあと後悔しています。もし希望年収を尋ねられたら覚えていてほしいです。 |
最後に |
私が転職を始めたとき、真っ先にやったのは沖縄にUターンしたエンジニアを検索することでした。 検索で出てくるのは、もともと大企業に勤めていて、 今は沖縄の有名なベンチャー企業で働いています。だったり、起業しています。だったりと高みにいる方ばかりが出てきます。 そういう人は、きっと沖縄にUターンやIターンでなくてもどこででも成功した人たちだと思っています。 そうじゃくなて、普通の高校や普通の大学を卒業し普通の企業に就職し、 普通に生活している人間がUターン後どうなっているかをUターンを考え出した私は知りたかったです。 なので、本当に普通の生活をしてきた私のUターン転職をまとめてみました。 結果として、東京生活も楽しかったけど、Uターンして後悔ありません。 今、Uターン転職を考えている方はぜひ頑張って下さい。応援しています。 |